陽のあたる路から

陽のあたる路をのんびり歩くような人生でありたい  陽路々

やりたい事とやりたくない事

会社を退職し、仕事から離れて1ヶ月以上が過ぎた。思い起こせば15年前の50歳の時、脳卒中を患い3ヶ月の入院生活をする事になった。その時は左半身が麻痺してしまい寝たきり状態になった。下の世話も看護師さんの世話になる事となり、そんな状態になると考えることは絶望だけで、職場どころか自宅にさえもう帰れないかもしれないと考えていた。

このまま死なずに生きていたらどこかの施設にでも入れられるんだろうかと、悪く悪く考えるしかなかった。それでも時がたってリハビリの成果か少しずつ歩けるようになり、完全麻痺でピクリとも動かなかった左手も徐々に動くようになりやがては物を持つことも出来るようになった。

そして3ヶ月が経ち退院して自宅に戻り自分一人でも生活が出来るまでになった。職場にも戻ることは出来たが、製造業で機械加工の仕事をしていたのだが現場復帰は出来ない。幸いにも社員数が少ない会社だった為、事務処理担当がいなかったことから事務処理の仕事をさせてもらうことになった。

しかし社員数が10人にも満たない会社の経営者は従業員は現場で働き事務処理は身内で済ませたかったらしい。まあ解らないでも無いし慈善事業ではないので、小規模の会社を経営するには当然なのかもしれない。それでも今後の生活もあるので年金を貰えるようになるまでは使ってほしいとの思いで65歳まで務めてきた。

会社側は辞めてくれとは一切言わなかったが(陰で言っていることは他者から何度も聞いてはいた)65歳をもって届を出して退職することにした。65歳になる前に退職して再就職を考えるとお得になるとか、70歳まで働いて年金を遅らせた方が得だよとか、色々な助言が飛び込んで来た。しかし15年前に一度諦めた人生なんだ。辞めるときの雇用保険とか年金額を増やすとか、そんなことはどうでも良かった。

人はいつか年金生活になるんだし、今後の生活のために新しい仕事を見つけたいとは思わない。仕事から離れるという事は社会から離れるということで家に閉じこもったままになるから早く認知症になるとか。心配してくれているんだろうけど色々と言ってくる人も多い。しかしそこは人に言われなくても考えているに決まってんじゃん。

最近、テレビで言っていた事なんだけど、人には「やりたい事、やりたくない事」があるらしい。生きていくにはやらなくてはならない事が沢山あるが、そのほとんどは出来ればやりたくない事なのだ。そう言われればやりたくないけど、生きていくにはやらないとならないからしょうが無くやっている事ばかりだ。仕事だって生きていけないから仕事をしてるわけだし、したかった事が仕事になっている人は幸せだよね。

そうなんです。したかった事が出来る事が幸せなんだよ。若い人が自分の行きたい道へ進むことは幸せな事。自分はと言うと生きていくために仕事を選び、休みを待って趣味(本当にやりたかった事)に没頭した。それは退職するまで続いていた。

そして退職してからは今までしたかった事に制約が無くなり自由に打ち込めるようになった。それはいくら打ち込んでも1円にもならない事だけど(むしろ容量の関係で有料による出費はある)頑張り甲斐があって夢中になれる。退職前後は精神的に不安定になり心療内科のお世話にもなったが、あっという間に改善し今は忙しくも充実した日々を送っている。

やりたい事、やりたかった事が沢山あるのは幸せな事。趣味はと聞かれて無いと答える人がなんと多いことか。と言うより周りにはほとんどが生活に追われていて趣味はあるけど遊びの範囲をこえていないような人ばかりだった。

ネットの世界ではやりたい事やりたかった事、生き甲斐となる事に打ち込んでいる人に出逢う事が出来る。65歳の自分にとって親ほども年の離れた大先輩とも知り合う事が出来た。生活は年金で何とかなるから自分が本当にやりたかった事を大切にしていこうと思う。